雑記:徹夜明けの雨(バラナシ in インド)

インドの中部の聖地、バラナシの5月の気温は、日中40度近くなります。

もう、暑いというより、熱い! 煮え湯の中を歩いているようです。


その日、少ない金で長旅をしようとしていた私は、いつものように宿代をケチってエアコンのない部屋にいましたが、後になって考えてみると、熱暑病と下痢で何日も部屋で寝込むぐらいなら、冷房付きの部屋で英気を養った方が、よほど効率がよかったかもしれません。


こんな時期はインド人ですら、用があるとき以外は外に出たがりません。ガンジス川の水量は増し、たくさんの修行者や巡業者が集まることで有名なガート(沐浴場)も水没してしまって、川沿いをぶらぶら散策するのにも向いていません。


ドアを開けっ放しにしたまま、ただ部屋のベッドで伸びていると、隣の客室から何かただごとじゃないやりとりが聞こえてきます。インド人と、日本人の男の声でした。


やっぱりこちらも開けっ放しになっている隣の部屋を覗くと、もじゃもじゃ頭をしたルンギ姿(足元まで隠れる長い腰巻)の男が、ベッドの上に半ば崩れかかり、2人のインド人から説教されているようでした。

今風のジーンズ姿のこざっぱりしたインド人は、宿のスタッフです。一方、ルンギ姿の日本人は、髪の毛が爆発して、ちょっと「懸賞生活のなすび」の風体でした。


何事かと聞くと、


「彼が薬をやるのを止めようとしてるところだ」と言うのです。


その、もさっとした日本人T氏のベットサイドには、怪しい注射器とスプーンがT氏は顔面蒼白で、目つきも虚ろでした。


「宿で死人が出たら、営業できなくなる!」


そんなわけで、宿のスタッフ2人が、彼に断薬させようと見張っていたのです。


私は自分がなにをできるかもわからないまま、部屋に入っていき、とりあえず他のインド人とともにそばの椅子に座りました。なんて話しかけたのかも忘れましたが、大体の事情は、しっかりしているスタッフのラケシュが説明してくれました。


T
氏の歳は30ぐらいで、日本に妻も子供もあり、日本で一番頭のいい大学を出ているはずなのに、わざわざガンジス河のほとりで自殺するためにやってきたらしいのです。そしてここ何週間か、薬の売人たちからカモにされまくっている、とのこと。


「そんな小汚ないルンギじゃなくて、ジーンズを履きなよ!? そんな格好で、ボサッと歩いているから、悪い奴らが集まってくるんだ。あなた、そのままじゃ身ぐるみ剥がされて、道端で死んじゃうよ!なんで子供のいる日本に帰らないんだ!」

ラケシュはそれから私の方を見て、

「あなたも日本人だから、何か話せば気持ちが変わるかもしれない」と、せっつきました。

私は困りながら、「みんな心配してますよ」と話しかけました。

T氏はぼんやりしたまま、「この人たちは、自分たちのホテルで麻薬とかのトラブルが起こると面倒だから、止めようとしているだけです。大騒ぎしすぎなんですよ」と、淡々と答え、

「そういえば、河の向こう岸、もう見ました?」

「いえ、まだ」

「あっちで、こんなもの見つけたんです」


ガサゴソとガラケーを取り出して、開いた写真には、灰白色のきめ細かい砂に埋もれたまっ白な人骨が写っていました。

キレイに雨風に洗い流された後のようで、生々しさは微塵もない。

「すごいですね!」

インド旅行記にはしょっちゅう、川沿いの火葬場で遺灰を流す風景とか、人の手足をくわえた野良犬の話などがでてくるけど、実際インドにやってきてから、一度もそんなものは見たことがない。

「どこら辺にありました?」

「向こうに行けばすぐ見つかりますよ」少し窓の外を見て、「少し遅いけど、今からでも行けるかもしれない」

ラケシュは、「ダメだ、ダメだ!そんなもの見てるから、自殺なんて考えるんだ」と怒り始めましたが、私たちは日の暮れてしまう前に、船着場を目指しました。

古びた小舟がひしめき合う一角から、船頭付きの細長い手漕ぎボートに乗って、ガンジス河へと漕ぎだしました。

バラナシの市街地はむせ返るくらい人が密集しているのに、向こう岸はなにもない空き地のようになっています。ガンジス河の対岸は、不浄の地とされているので、人が住む場所ではないのです。

船頭が漕いでくれるから、我々は細長いボートの上で、向かい合わせで座っているだけです。川幅は広く、どちらに向かって流れているのかわからないくらいゆったりした川面の上を、生ぬるい夕方の風が吹きぬけていきます。

そんな光景を眺めているうちに、ボサボサ頭の自殺志願者と、面と向かってボートに相乗りしていることが、急に奇妙な感じになってきて、私は「記念写真を」と口実をつけて写真を一枚撮りました。

背後には、夜の祈祷のロウソクやら、火葬場の火やらが映り込み、そこから立ち上る猥雑な生の喧騒は、次第に遠のいていきました。

やがて船頭が、「もう、今日はやめておこう。向こう岸も水没しているし、これ以上行っても暗くなる」そう判断して、我々は結局、白骨を見ることなく引き返しました。

その晩、宿の部屋にいると、ラケシュがドアをノックしてきました。

「今晩はTが薬をやらないように一晩中酒を飲んで見張ってるんだ。一緒に飲みにこないか?」

行ってみると、T氏は夕方よりもまた容体が悪化していました。青色吐息というのは、まさにこのこと。ラケシュと、私と、あともう一人のスタッフは、脂汗をかいている彼の隣で、夜が明けるまで飲みつづけました。ラケシュの親友であるスタッフは、強烈なウォッカをラッパ飲みし、俺はキングだ!とかいうようなことをのたまっていました。

そのうちに、なんでTがこんな所までわざわざ死ににきたのか、理由もわかってきました。借金苦とか失恋とか病気とかいう、わかりやすい理由ではなく、生きづらさ、と言ったほうがいいような理由です。


やがてラケシュが怪訝そうな顔をして、私を部屋の隅に呼び寄せて聞きました。

「なんで君はTにそんなに優しいの? 彼のことが好きなの?」

「そういうんじゃないよ。私も昔死にたくなったことがあるから、ここで出会ったのは、何かの意味のあることなのかもしれない」

私は同情するのとも違い、まして更生させるなんて気持ちでもなく、思ったことだけ答えました。抱えていた事情は全然違いますが、鬱陶しい気分そのものなら、わかるような気がしたのです。もちろん、ラケシュが勘ぐったような色恋沙汰とはまったく関係ありません。


時間の感覚も麻痺してきたころ、半病人と酔っ払いの体臭でむっとした部屋を出て、朝の外気にあたりに屋上に登りました。夜明けの時間になっても、空は白い雲に覆われて朝日が見えず、かわりに雨がしとしとと降っています。

ところがTは、夢遊病者のように雨の中に出て、Tシャツを脱いで水浴びを始めました。

「また、バカなことやって何を考えて」とラケシュが言うのが聞こえましたが、

私はなんとなく、、自分もやってみたくなって、ひさしの下から雨の中に出ました。

雨が、洗い流していく。牛糞とゴミだらけの街も、人も。

少し離れた所で、さらに水量を増したガンジス川が煙って見え、早くも祈りを捧げる音が聞こえてきました。

ラケシュは言いかけた言葉を捨て、自分も雨の中に飛び込みました。それから、他の従業員も、夜明けのガンジス川を眺めるのが日課なのか、屋上にやってきたおじさんと子供の従業員も、雨の中でばしゃばしゃとはしゃぎ始めました。


私はすぶ濡れで川を眺めながら、隣にいたラケシュに思いつきでこんなことを言いました。

「人間の一生は川に似てるね。最初は小さくて、澄んでいて、勢いがいいけど、だんだん大きくなるうちに汚れて、ゆっくりになって、最後には海にいきついて、死ぬ

……それから、もしかしたら雨になるのかも」

日本でこんな会話はしなくても、旅先で英語だと、不思議とこんなことが普通に言えてしまうのです。しかも徹夜明けで、酔ってもいた。ラケシュは「そうかもしれない」とうなずき、

Tの方はというと、

とうとうシャンプーをどこかから持ってきて本格的に髪を洗い始めていました(!)

それから、私はTの完全回復を見届けることなく、先に予約してあった飛行機の予定にあわせてバラナシを後にしたのですが、1ヶ月後ぐらいに、気になってまた戻ってきました。そのとき聞いた話だと、Tは私がいなくなった後すぐ、日本と日本人が恋しくなって、無事帰国したそうです。


二度目の訪問では、とくに事件が起こることもなく、それはなんだか気の抜けたビールのようで、私も23日するとすぐ別の街に発ってしまいました。

“ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。 淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。 世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。──『方丈記』”

すべての瞬間は、一度きりしかない。