秘密の賭博場の女経営者を描く『モリーズ・ゲーム』に、夜の世界に迷い込んでいく少女の姿を重ね見る

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基本情報

出演:ジェシカ・チャステイン、イドリス・エルバ、ケビン・コスナー、マイケル・セラ、ジェレミー・ストロング

監督:アーロン・ソーキン

製作国:アメリカ 製作年:2017年 140分

あらすじ
モーグルの選手として五輪出場も有望視されていたモリーは試合中の怪我でアスリートの道を断念する。ロースクールへ進学することを考えていた彼女は、その前に1年間の休暇をとろうとロサンゼルスにやってくるが、ウェイトレスのバイトで知り合った人々のつながりから、ハリウッドスターや大企業の経営者が法外な掛け金でポーカーに興じるアンダーグラウンドなポーカーゲームの運営アシスタントをすることになる。その才覚で26歳にして自分のゲームルームを開設するモリーだったが、10年後、FBIに逮捕されてしまう。モリーを担当する弁護士は、打ち合わせを重ねるうちに彼女の意外な素顔を知る。 引用元:映画.com

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「女神の見えざる手」で孤高のビジネスウーマンを演じたジェシカ・チャステインが、世界の名だたるセレブたちを魅了したポーカールームの実在する女経営者、モリー・ブルームを演じます。モーグルのトップ選手として真面目に生きてきた彼女が、アスリートとしての夢を絶たれた後、気分転換に訪れた都会で、それまでのストイックな環境とは真逆の享楽的な世界に足を踏み入れていく前半は、「ポーカールームの経営者」という特殊な肩書きとは関係なしに、様々な女性の共感を誘うような内容になっています。
成功が大きくなるほどワーカーホリックになっていく様子は、「女神の見えざる手」の主人公にそっくりで、こういう役がジェシカ・チャステインのハマり役なんだなと、感じました😅実話を元にしているとはいえ、「現実は本当にこんなキレイにまとまったの??」という疑惑ありまくりですが、映画としては申し分なく、セレブ限定のポーカールームという特殊な裏社会を覗き見れる面白さがあります。


空の高みから落ちたとき、初めて見える景色がある

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人が、世界の中心にある幸福な主役の座から転落してしまうのは、一体いつぐらいからでしょうか?

生まれたばかりの赤ん坊は、限りなく自己中です。親の都合に配慮することもなく、だれかに勝った負けたと思うこともないし、自分の容姿が他と比べて優れてるかどうかなんて気にすることもありません。

でも、いつからか私たちは、世界が自分中心に回っているわけではない、と気づくようになる。親が自分をどう思っているのか察知して、誰かよりも美しくなく、優秀でなく、愛されていない自分を、自覚するようになる。

そして、いつからか、この世という大舞台のつまらない脇役に収まって、
再び主役の座に返り咲こうと、悪戦苦闘し始める。

「勝負に勝て」「一番になれ」

そういう親の叱咤激励は、勝って一番でいなければ無価値、というメッセージを、子供の心に深く植えつけます。

モリーは文武両道の優等生なのに、自分よりさらに優秀な兄弟がいることで、家族の中では脇に追いやられているような感覚にさいなまれながら育ちます。

そんな彼女には、「これくらいできればOK」という、自分に対するほどほどのOKサインがないかのように見えます。つねに、勝ちを重ね、一番でなければ、主役ではないのだ、と。

人の幸福に必要なものが、「衣食住」だけならば、モリーは裕福な暮らしができた時点で、充分満たされていいはずです。でも、そうはなりませんでした。モリーのゲームに参加する客たちもです。大金を湯水のように使えるほど財産があるのに、損をすることの方が多いギャンブルに、わざわざのめりこむ。

衣食住(それに単純な性欲)なんかよりも、さらに得たいものとはなんでしょう?

それは、自分が世界の主役だと思い出させてくれるような、刺激的なストーリーなんじゃないでしょうか。。

「あの有名人をポーカーで負かしてやった!」

「私こそが、女一人で、世界中のVIPを手玉にとっているゲームルームの胴元だ!」

モリーは自分に求愛してきた客に向かって、自分のことをギリシャ神話のキルケに例えて諭します。キルケは酒と蜜で男を豚に変える魔女、自らをそういうものとして例えるのです。

「私は男たちにギャンブルをしなさいとすすめる。女の子たちに酒を注がせるのは、自分はモテる男だと客に錯覚させるためよ」

享楽とスリルの非日常の世界への、魅力的な案内人というわけです。

ほかにも、自分の人生が特別なものだと思わせてくれるようなストーリーを、お金で売ってくれる職業はたくさんあります。宗教家は崇高な人生を、心理カウンセラーならドラマチックなトラウマを…etc

でも、本当は、あなたが自分の人生の主役でなかった瞬間など、一秒たりともないのです。

たとえ独善的な親を主役にした人生劇場で、親の求める子役を演じているような、不幸な子供時代を送ったとしても。

あなたの痛みは、あなたしか感じられないし、自分の舌に触れたものしか、味わうことはできない。

もし、自分が誰かより劣っていると思えたとしても、

それが、悩んだりつまずいたりしながら懸命に歩いてきたあなたの生が、その人よりも下らないものだ、なんていう証拠にはなりません。

モリーはやがて、自分で作りあげた退廃的なゲームルームで生きつづけることにいら立ちを募らせ、薬物で精神のバランスをとるようになります。

巨額の貯金があって、そんなに仕事にうんざりしてるなら、辞めて豪遊してもいいのに。。

チャンピオンにこだわり続けるモリーは、勝負からおりることができません。

まるでギャンブルで勝ったとき、もっと勝てると思って、負けるまで賭けつづけてしまう人と同じです。

そしてモリーも、ポーカーで負けた人々同様、勝ち逃げできるタイミングを失して、警察のガサ入れで全財産を失ってしまうのです。

最後に、落ちぶれたモリーと再開した父親は、娘に対する正直な気持ちを打ちあけて、長年父娘のあいだにあった確執は氷解していきます。

この映画のハートウォーミングなシーンは、スキーのジャンプさながら、怪しい夜の世界で高々と孤独にジャンプをきめているときではなく、着地に失敗して、彼女を心配する人々が現れはじめた後に訪れます。

26歳で財を成し、35歳で積み上げてきたものすべてを失った。

──やり直すには遅すぎる?

いえ、そう感じているとしたら、過去に成功した自分と比べているからです。

50歳の人から見れば、35歳なんてまだまだひよっこ。70歳から50歳を見れば、あの頃は若くて男女のゴタゴタなんかもあったな、と感じるかもしれない。100歳の人にとっては、70は自分より30も年下です。

出典: IMDb

冷たい雪上で特訓をする少女モリーに、父親の声が響きます。

「前を見ろ!モリー。下を見たら落ちるぞ。前を見るんだ!

そう、前を見て、

あきらめなければ、、立ち上がれる!